「3ヶ月ほどニューヨークに行きます。一緒に住んでもいいですか?」
11月中旬に後輩からLineがきた。彼との出会いは5年前に運営していたスニーカー関連の会員サービスで、彼は初期メンバーからいた後輩だった。その会員サービスは2年くらい運営したけど、その間に3回ニューヨークに来るくらいニューヨークが好きな後輩だった。
コロナで大変なご時世だたけど、本人の意思を大切にしたいので「いいんじゃない?」と二つ返事でOKした。
今回は「人生とは何か?」を探しにニューヨークにやってきたらしい。コロナ禍になって似たようなことを思う人が僕の周りでも増えたからこそ、彼みたいな人は日本にもたくさんいるだろう。まぁ彼を悩ました原因は僕だったりもするのもあって、OKしたのもある。
コロナ禍でも彼とよくZOOMで話をしていた。去年はちょうど僕自身が「僕の人生とは何か?」「僕の幸せとは何か?」を深く考えていた時期で、彼にもよく考え方を共有していた。これは僕だけじゃなくて、世界中の人がコロナをきっかけに考えた大きな問題でもあったし、彼自身も悩むようになった。
去年のニューヨークは酷かった。色々な不安や変化を実際に体感して、たった1年間だったけど10年分くらいの経験をした。あの1年は本当にキツかったけど、ニューヨークのエネルギーに助けられたし、時代の急速な変化も体験できたし、そのおかげで僕は答えが見つかった。僕自身の答えが見つかった大きなきっかけはニューヨークに住む知り合いたちの行動を目の前で見ていたのが大きかった。
結局、「僕の人生とは何か?」「僕の幸せとは何か?」の答えを見つけるには価値観を広げるしかない。今の価値観で見つからないなら、広げるしか術はない。
だから、僕も悩んでる後輩がニューヨークに来たら色々なニューヨーカーに会わせてあげようと考えていた。そして、12月初旬。後輩がニューヨークに大きな荷物を持ってやってきた。
「入国はそこまで厳しくなかったですが、Keiさんにお願いされてたチキンラーメン20袋全部没収されました!」
部屋に案内して一呼吸置くと、一番初めに口にしたのが没収話。しかも、一番楽しみにしていたチキンラーメンが没収されてしまった。後々調べたらチキンが入ってる食材はアメリカには持ち込めないルールがあるらしい。本当に残念だった。20袋購入するあたりから期待度の高さはわかるはず。
そんな悲しいニュースから話は始まったけど、とりあえず隔離で5日は家にいるように言って、そのあとは僕の知り合いの経営者やアーティストの人と会えるタイミングがあったら一緒に会うようにスケジュールを作った。彼からしたら宇宙人みたいな人たちと話をすることになるけど、彼らも後輩と同じ人間であって、価値観が違うだけということを肌で感じて欲しかった。
隔離が終わってからソーホーでCBDカフェを経営してるマヤちゃんやMoMAに作品を寄贈しているアートコレクターの先輩やニューヨークのファッションウィークでメイクしてるアーティストの後輩とか色々なニューヨーカーを紹介した。
その中でも情熱大陸にも出演された世界的アーティストの「松山智一さん」と話が出来たのは彼の価値観を大きく変えた。
「松くんに渡さないといけない書類があるからKei君、渡してくれない?」
MoMAに作品を寄贈しているアートコレクターの先輩から急にメッセージが来た。松くんとは情熱大陸にも出演された世界的アーティストの「松山智一さん」のことで、僕も松さんとは1度先輩と一緒にご飯を食べさせてもらったのもあって面識があった。先輩は僕をすごい可愛がってくれて、松さんにも面白おかしく紹介してくれたのもあって、松さんも僕のことをすぐに覚えてくれた。
どれくらいすごい人か気になる人は「ニューヨークが認めた異才、松山智一が語るアーティストの使命」の記事を読むとわかるかと。
僕も松さんのことはテレビを通して知っていたけど、実際に話すことなんてあるとは思ってなかったし、ワインを飲みながら松さんの昔話を聞かせてもらって心が震えたのを今でも覚えている。そんな松さんとまた会う機会が突然できた。
「ナオヤも会わせることはできないだろうか…?」
もしかしたら書類を渡すだけで終わってしまうかもしれないけど、もし1分でも話をする時間があれば彼の価値観は大きく変わると確信していた。それに怒られたら、連れてきた理由だけ話して、すぐに謝ろうと思っていた。それくらい後輩が松さんと会うことは人生を変える転機だと思った。
後輩にすごい人に会わせてあげると言って、情熱大陸の映像を見せたら、「あっ、これ見ました!この人に会えるんですか!」って言って喜んでた。おい、今からこの人に本当に会うんだぞ…なんだ、その余裕感。ちょっと不安にもなったけど、目の前にしたら何も話せなくなるだろうと彼の性格から思っていたから連れてくことにした。
松さんのオフィスに行くとスタッフの1人が出迎えてくれて、松さんの部屋まで連れてってくれた。その連れてった人が8年くらい前に出会った知り合いでまたビックリしたけど。ドアの近くに行くと中から松さんが「おっ、Keiくんじゃん」と顔を出して、挨拶をしてくれた。僕は受け取っていた書類を渡して、一緒についてきた後輩を10秒くらいで紹介した。
「中に入ってよ」と声をかけてもらい、水を出してもらった。部屋の中を見ると縄文土器やストリート好きなら喉から手が出るような90年代のKAWSの作品など膝から崩れ落ちそうになる作品がズラーっと…
「なんて場所に来てしまったんだ、美術館じゃないか」と1人興奮を隠しながら水を飲んでると後輩は何も話さないで水をグビグビ飲んでいた。流石に何もアートについてわからない彼でもこの部屋に置いてある作品たちのレベルの違いにはわかってるみたいで、彼も僕と同じことを思ったんじゃないかな。
松さんは書類を一通り確認してから、ありがとうねと一言言って、部屋の中の作品と今制作中の作品の説明をしてくれた。僕自身、世界で活躍するアーティストの方がどのように考えて、作品を作っているかを初めて聞いて足が震えた。後輩を見るとさっき以上に何も話さない口の形になっていた。いや、言葉を失っている感じだった。
僕は結構色々な人たちにインタビューをしてきた経験もあって、質問をするのは得意な方なんだけど質問をする隙がなかった。正しくいうなら、なんて質問をしていいかわからなかった。それくらい内容が濃くて、どこから分解していいかわからなかった。
情熱大陸にも出演された世界的アーティストの「松山智一さん」を知り合いに紹介してもらったんだけど、「ニューヨークは好きですか?」って質問をしたら「僕はニューヨークから"与えて貰う側"から"与える側"にかわったね」って聞いたことないパワーワードが返ってきて、生まれて初めて足が震えた…
— Kei | 小さなニューヨーカー (@smallnycer) December 12, 2021
そんな中で1つだけ質問をした。ニューヨークは好きなんだろうか?単純に世界で戦う松さんがどう思っているのか気になった。
その質問に「僕もニューヨークに来たばかりの時はニューヨークから教えてもらうことばかりだったよ。だけど、今は僕が何か動くとニューヨークに影響を与えてしまう。もう与えてもらう側から与える側に変わったんだよ」と答えた時に鳥肌が立った。
この言葉は世界で戦う松さんだから言える言葉であって、その言葉が本当とわかるからこそ、重すぎた。
15分くらいの短い時間だったけど、脳みそがぐちゃぐちゃになるくらい素敵な話を聞かせてもらった。後輩も帰り道で「僕はとんでもない人に出会ってしまいましたね…」と彼なりに聞いた話を噛み砕こうとしてたみたいだけど、結局今日までまだ噛み砕けてないでいる。
そりゃそうだよ、あんな濃い話を聞いたら僕でも1ヶ月以上かかる。後輩がニューヨークに来て3週間が経ったけど、もう数年分の経験値を得たと思う。その証拠に毎日考えることが増えて、顔が老けた。
…おいおい、まだ2ヶ月も滞在期間あるし、若者なんだから笑顔でいよーぜ!クリスマスだし、飯でも奢ったる。ってことで、クリスマスにカレー。本当は地中海料理を食べようと思ってマンハッタンまで出たんだけど、クリスマスってことでどこも閉店。結局地元クイーンズの5年前からよく食べてるカレー屋さんでクリスマスでした。
あっという間に2021年が終わってしまった。来年の目標は次のブログで書こうと思う。
あ、後輩がニューヨーク来てからTwitterとインスタ頑張ってるからフォローしてね。
※この記事は2021/12/26に公開した情報になります。
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