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タイ

日記

大麻農家から1円の金にもならない大麻盆栽家になった理由

2024年10月10日(木)

あっという間に10月になりましたね。もうそろそろタイに移住して2年目と考えると時間の経つ速さに驚きますが、それ以上にタイの大麻市場もどんどん変化してる話は「タイで大麻農家を辞めて貯金ゼロからの話」で書いたのでまだ読んでない人はそちらを先にどうぞ。

結局僕は大麻農家として生きていくことを諦めたわけだけど、人生一回しかないからこそ、タイで合法的に大麻と関わることがやりたかった。だけど、何が自分にできるのだろうか?そもそも何故、大麻農家として成り立たなかったのかを考え直すことにした。

大麻農家になる素質がそもそもなかった

自分のことは自分が良い部分も悪い部分も含めて、一番よくわかってる。そもそも大麻農家になると覚悟を決めた時にずっと隠してた気持ちがあった。そして、その気持ちと向き合わないと答えが出ないのもどこかわかってた。

今だからいうけど、始めから僕は大麻栽培にそこまで興味がなかった。

興味がない理由もわかってた。ニューヨークに10年間住んで、ストリートカルチャーやアートに近い生活をずっと送ってた自分からすると”大麻を栽培すること”はクリエイティブとは正直思えなかったのが原因。もちろん肥料や栽培環境をこだわってる人もたくさんいるし、彼らにはリスペクトしかないけど、ユニークか?と聞かれたら自分からするとほとんどが別にユニークではなかった。いや、自分がニューヨークで一緒に過ごしてた人たちは思わず驚いてしまうようなクリエイティブなモノを作るのが普通だったから栽培方法こだわってるくらいで驚くことはなかったし、それはユニークポイントでもなんでもない。

それに自分もタイ嫁と結婚して、大麻農家を始める時は”持続可能な地球に優しい大麻栽培”をするために有機栽培を選んだし、ミミズの土も家で1000匹のミミズを飼育して、自作で作るくらいだから有機大麻農家としては結構こだわってる方だと思うんだけど、そこまでやっても大麻栽培にはハマらなかったのが答えだと思う。とは言っても、今でも毎朝5時に起きて水やりや鉢上げとかストレスなくやってるし、土や大麻を触るのも自然を感じれるから好きなのを考えると大麻栽培が嫌いなわけではない。ただ、ニューヨークに夢中になったように、大麻栽培には夢中になれなかった。このことがわかった時に自分には大麻農家の素質はなかったんだと痛感したし、大麻農家としてやってく未来は見えなくなったことで生き甲斐もなくなってしまった。

だけど、何も変化しないで立ち止まっていても時間の無駄。38歳、止まってる時間はないです。生きがいを取り戻すために”過去の自分”を思い出すことにした。

未来を作るのは過去の自分が何をしてきたか

未来を考える時に計画がある上で新しいことに取り組むことで見つかることはあるけど、逆に過去に自分が何を見てきたのか?何をしてきたのか?を突き詰めると自分がやりたいことを無意識にやってることに気付くこともある。どっちも大切だけど、後者がわかってはじめて前者が活かされることは多い。僕はいつの間にか後者は知ってるものと思い込んで、前者ばかり考えていた。

”僕は10年間、ニューヨークで何を見てきたのだろうか?

タイに移住する前は10年間ニューヨークにいた。いや、もっと正確にいうなら18歳から唐突なきっかけで訪れたニューヨークにどハマりして、リボ払いを最大限活用して毎年2、3ヶ月通うようになって、タイ嫁と同様、出会って1週間で結婚したニューヨーカーと25歳で結婚して、ニューヨークに移住したんだった。ニューヨークに移住してから何してた?と聞かれたら、ずっとニューヨークのストリートカルチャーかアートの世界に足を突っ込んでいた気がする。特に学生時代から大好きなブレイクダンスとグラフィティーは気付けば20年以上ずっと大好きだし、ヒップホップ4大要素(ブレイクダンス/グラフィティー/MC/DJ)もニューヨークにいれば身近に感じられるし、何より一流のアートが美術館やギャラリーはもちろん、街中にも溢れかえってるニューヨークは刺激をたくさんくれたし、仲間たちもユニークな個性的なニューヨーカーばかりで最高だった。

僕がニューヨークに住んだ10年間はクリエイティブな経験をたくさんしたし、一流のニューヨーカーの友達のクリエイティブな思考や作品をたくさん共有してもらった。そんな環境にいたくせに時代の流れはあれど結果として大麻農家は失敗に終わり、地球を救うどころか瀕死状態になった自分が本当に情けなかったし、ニューヨークで学んだことは大麻農家では何も活かされてないと振り返ると痛感した。

大麻盆栽との出会い

ニューヨークで学んだことは芸術の素晴らしさだった。色々なアングルから彼の経験から伝えたいことを形にするアートはユニークであり、自分自身の人生について考えさせられる瞬間が何度もあったし、人生も実際に芸術と出会って変わった。芸術活動が何かやりたいけど絵心もないし、音楽を作る才能もないし、ダンスの才能も実際やってみてなかったのは知っていた。そんなことから芸術なんてものは自分には遠い存在と思っていながらも、ロゴを作ったり、デザインやホームページを作ったりなどパソコンの中では20年以上ずっとクリエイティブなことを続けてる自分もいた。表現が難しいけど、ずっと自分の中では”何か作る”ことが好きでたまらないのは自分自身でわかっていたけど、自分がやってるクリエイティブワークはネットの中での話で、ニューヨークで見ていたアーティストと同じとはどこか思えなかった。

ちょっと話は変わるけど、僕はタイに移住してから日本人と会うのやめて、海外の人(タイ人が中心)と会うのが基本にしている。僕が彼らに会うといつも「どんな日本が好きか?」と聞くようにしてる。色々な答えがあるが、日本人では見えない日本の素晴らしさを彼らは体験し、毎回感動してる。この”日本人では見えない日本の素晴らしさ”を自分なりに表現したい気持ちはタイに移住して、大麻事業をタイ嫁とやる際からブランディング作りとしてずっと考えながら、動いていた。

たまたま収穫量を増やす方法を調べてるときに盆栽のようにワイヤーで固定して、日陰になっていた部分も含めて光を全体に当てることで収穫量を増やす方法だった。最初は何度も失敗したけど、徐々に力の入れ具合などもわかってきて、思ったとおりにワイヤーをかけれるようになるまで半年くらいかかった。どれだけの苗を無駄にしたかわからないけど、飽きずにずっと色々なワイヤーのかけ方に挑戦してた。

ある日、タイ人の友達が家にやってきて、ワイヤーで固定してる大麻の苗を見て「これは素晴らしいね!日本らしい、美しさがある!BONSAIみたいだ!」と興奮していた。ワイヤーで盆栽のように固定してたのもも間違いないけど、これが彼らには盆栽に見えるとは思わなかった。それに興奮してる彼を横目に「これが日本の素晴らしさか」と思う反面、「なんか足りないわ」と正直感じてる自分もいた。ただただ枝を綺麗に曲げるだけで盆栽というのは盆栽職人さんに失礼だし、そもそも盆栽はあのグッとそびえ立つ太い幹が迫力であって、大麻の幹をあそこまで太くしようとすると時間もコストもかかる上に、迫力があるかと言われたら答えづらい作品に仕上がる大麻盆栽の未来も見えてた。

地球に優しいを突き詰めた大麻盆栽

確実に僕は混乱していた。ここまで答えが出てるなら簡単に切って、次のアイディアに行けるはずなのに、大麻盆栽だけはなぜか引っかかる。それに成長スピードが早い大麻をコントロールするとなると手入れも大変だし、収穫物も通常より小さくなる。だけど、本当に好きなものに出会った感があったからこそ、大麻盆栽のアイディアを大切にしたかった。なので、捨てるのをやめて、足りない部分をどう補うのかを考えることにした。

大麻盆栽に足りないのは”ワイルド”さ。迫力がないからグッとこないのが正直な意見。このワイルドさを取り入れるにはどうすればいいのか3時間くらいホワイトボードの前で悩んだけど、一向に答えは出てこないから散歩がてら家の周りを歩くことに。アイディアが出てこない時はとりあえず歩くことにしてる。とにかく新しい情報やヒントになる情報がないかアンテナを120%で張りながら、見つかったらすぐに頭の中で組み立てて検証する繰り返し。

普段行かないローカルの人たちしか住んでないだろう道を歩くこと10分。目の前に落雷で倒れた木があった。タイの雷は日本ともニューヨークとも違って、確実に近くで落ちてるだろうなってくらい爆音でビビるし、実際に近くに落ちたことも何度かある。落雷を受けた木なんて見る機会がなかったのもあって、雷が落ちた部分はどうなってるのか見てみると小さな芽が幹の割れ目から何本か生えていた。ワッと驚いて、後ろに下がって全体を見渡すと落雷で死んでしまった枝と新しく今から生えてくる植物が絡み合って、自然の美しさを感じた。

この美しさを大麻盆栽に活かしたい。

そこで落雷で落ちた枝の中から自然の中で生まれた魅力的な枝を探すことにしたが、中々良いサイズの木が見つからない。とりあえずサイズバラバラで5本ほど持って帰り、「盆栽=苔」のイメージがあったので苔について調べてみると苔も水を保持し、空気を浄化する働きがあり、自然環境に優しい有機資材の1つだったので即採用。

それで生まれたのがこの作品だった。大麻盆栽を作ってる時は落雷の木の間から生えてた植物を思い出しながら作った。落雷を受けて生命が終わったと思った木が新たに美しく他の植物と共存する世界。そんな世界を大麻で作りたかった。初めて作った作品としては上出来だったが、まだ改善の余地があると感じた。ただ、方向性はこれで正しいと確信が持てる作品だった。

大麻はドラッグという印象が強いけど、大麻は植物界の中でも群を抜いてる地球環境にやさしい植物というデータが出ている。そのイメージを完全エコな大麻盆栽を通じて意識改革できるなら面白い。そして、ついに”ニューヨークで経験した貯金”を活かして僕がアーティストとして活動する時代がやってきた気がした。

僕の大麻盆栽「Wabi Sabi」は日本の美意識「侘び寂び」を取り入れ、自然の力強さと環境への配慮を大切にした世界一環境に良い大麻盆栽を目指すことにした。廃材となる木材や苔を活用し、有機肥料など厳選した自然素材のみを使用することで、持続可能な栽培方法を実現し、環境に優しく、自然との調和を意識して作ってる。特にこだわっているのは、自然の「ワイルドさ」を表現すること。例えば廃材を使った荒々しい木材の表現や、根を敢えて表に出して見せることで、自然の力強さや荒削りの美しさを強調すること。これにより、従来の大麻盆栽にはない、野性味と調和のある独自のスタイルを作り出すことに成功した。

Wabi Sabiはただの美しさではなく、自然との共生や環境保護のメッセージを込めたこの大麻盆栽を通じて、新しい視点や価値観を提案できるブランドになればと思い活動することにした。

大麻盆栽をビジネスにできない3つの理由

だけど、感動したのも束の間だった。完成した大麻盆栽を見て、ビジネスとして大麻盆栽をやることは非常に難しいと瞬間的に理解した。

理由は2つあって、1つ目は市場にないものなので価値がつけれない、2つ目はタイの大麻関連の法律が改善されることで多くの大麻事業者が新しいことに挑戦する意思がなかった、そして最後が大麻盆栽は市場にないものだからこそ、値段をつけて売るのは難しいのではなく、ギフトで特定の人にあげるのが一番大きな価値が自分自身に返ってくるとどこかで思っていた。

それに仮にお手頃価格で売ったとしても在庫を準備する期間やスペースやコストや販売後の手入れなどを考えると現実的なイメージが持てなかった。つまり、大きな問題であった「大麻事業でお金を稼ぐ」は全く解決されてなかったことを再確認させられた。だけど、ニューヨークにハマったように大麻盆栽はどこか自分の中で特別な存在になっていた。

現実の世界に戻るとそりゃー、落胆しましたよ。ついにユニークな自分だけの武器を見つけたと思った矢先に、それで稼げないって。生きていくこと無理ですやんって。美しい大麻盆栽が目の前にあるのに、僕の心の中は漆黒の世界だった。ゴール手前でいきなりスタートに突き落とされた感じで鬱に入りかけたけど、突然離婚が決まってニューヨークでホームレスになった時のことを思い出せばまだ大丈夫。今はタイ嫁という家族がいるし、タイにユニークな大麻事業者なんていないからこそチャンス。何かまだ大麻盆栽を超える大麻関連の事業をアイディアが絶対あるはず….

はい、見つけてしまった。大麻盆栽と並ぶ、いや、超えるアイディア。

このアイディアとの出会いもまた衝撃なので、続きは次の記事で書きます。


※この記事は2024/10/10に公開した情報になります。
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この記事を書いたのは...

【街路ch出演】ニューヨーカーと出会って1週間で結婚し、ニューヨークに移住。しかし、2年で離婚し、その後8年間ニューヨークで波乱万丈な生活を一人で生き抜きました。10年後、パタヤでゴーゴー嬢と結婚し、タイに移住。かつては有機大麻農家として働いていましたが、現在は大麻盆栽家に転職しています。大麻盆栽「Wabi sabi」では、環境に優しい有機肥料やミミズの土を使用し、廃材や苔を活用して、持続可能な未来を目指しています。自然との共生を体現し、大麻盆栽を通じて新しい視点を提供しています。詳しい自己紹介はこちらから。

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