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自己紹介

(14)突然のニューヨークでホームレス生活が始まる – ニューヨーカーとの離婚は突然決まった

2021年02月03日(水)

前回の「出会って1週間のニューヨーカーと結婚した話 – アメリカ永住権取得までの険しい道のり」の記事の続きです。

離婚は突然訪れた。

バイヤーの仕事に疑問を持ちながらもお金はあったので彼女を日本に一時帰国するタイミングで1週間だけ旅行に誘った。日本に一時帰国する直前までずっと買い付けの仕事をしてたけど、このままでは2人の距離は離れていく一方だったと感じた僕は日本で国立大学とあるテーマを研究する形で大学と仕事をする予定があった。この仕事が決まれば安定的に仕事が取れると自分自身思って、実は裏で数ヶ月動いていたけど、夢描いてた「幸せな生活」から「不幸な生活」に一気に変わる。

ニューヨーカーとの離婚は突然決まった

確かにこの旅行の前から何か様子がおかしいのは知ってた。もっと正確に言うなら1年前くらいから関係が少しずつ変化し始めてたのを僕は無視していた。今回の旅行はその溝を埋めるために高級旅館や高額のイベントツアーにも参加予定だった。全てが完璧に進むはずが、僕自身も知らない土地ではミスはたくさん起こる。そのミスが彼女からしたら「ニューヨークでは私が全てサポートしてるのに日本ではサポートもできないの?」という気持ちがあったらしい。

今思えばこれが全ての原因ではないけど、確実に離婚のトリガーになった。

この旅行中はキスすらなかったし、途中で彼女が離婚を決断した瞬間があった。空港に送る時もキスはなく、ハグで別れた。全てが違和感だったし、その後も連絡が来なくなって違和感は確信に変わった。そして、数日後にLineで「離婚したいからもう2度と家に戻ってこないで」と連絡があった時は受け入れる体制は取ってたけど、現実受け入れようとすると心は簡単に壊れた。さらに悪いことは続いて大学の仕事も白紙になった。

僕の中の全てが消えた。家族も仕事も居場所も。

落ち着いた後に彼女から「当時のKeiは仕事のことばかり考えて、家族のことを考えないから無理だった」と言われたが、その通りで結婚してるときはブログやバイヤーといった「興味のあること」でお金を稼ごうと熱中したばかりに大切な「家族の時間」を作ることができなかった結果、離婚してニューヨークでホームレスになることになった。

離婚が決まった時は日本に僕はいた。そして、ニューヨークに戻る航空券の日数が近くなってきて、「日本に残ってやり直す」か「ニューヨークでホームレスになってやり直す」かの2択を選ばないといけなかった。本音はニューヨークに戻りたかったけど、家もなければ、家族も仕事も何もない今の心の状態で戻るのは現実的に不可能だった。その現実が受け入れれなくて、躁鬱になった。毎日目を閉じると知らない階段をひたすら登り続ける悪夢に数日間うなされてた。鬱がこれほどきついとは知らなかった。

そんな死んでる自分を母さんはいつも気にしてくれて、朝カフェに誘って、話を聞いてくれた。当時30歳だった自分は親に甘えてる場合じゃなかったけど、心のストレスを話せるのは母さんしかいなかった。そして、母さんには「日本でもう一回頑張りなさい」と言って欲しかったけど、母さんから出た答えは「ニューヨークに帰りなさい」だった。ホームレスになろうが、仕事がなかろうが今あなたはニューヨークに戻って、生き抜く力を今だからこそつけるべきと僕の意見を蹴り返してきた。この時は嘘だと思ってたけど、、最終日に今まで見送りなんて来たことなかったのに空港まで来て「あなたなら出来る」とハグされてゲートに背中を半強制的に押された。

もう僕は帰る場所もないニューヨークへ戻るしかなかった。

ここから地獄のニューヨーク生活が始まる。

(次の記事:突然のニューヨークでホームレス生活が始まる – ニューヨークでホームレスになって大切なことに気付く


※この記事は2021/02/03に公開した情報になります。
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この記事を書いたのは...

【街路ch出演】 出会って1週間のニューヨーカーと結婚してニューヨーク移住したが2年で離婚し、ニューヨークで波乱万丈な8年間を1人で生きる。10年後にパタヤでゴーゴー嬢と結婚してタイ移住して大麻農家やったけど一旦引退して新しくなにか大麻関連事業を始める準備中。。詳しい自己紹介はこちらから。

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