前回の「波乱万丈な僕のチルい若い頃の話 – Webの仕事を始めるきっかけと嘘」の記事の続きです。
毎年ニューヨークには行ってた。特に目的があったわけじゃなかったし、英語が話せるわけでもなかったけど、ニューヨークというモノが大好きでしょうがなかった。毎回長期でニューヨークに滞在してると日本の友達から「さみしくないの?」と聞かれるけど、ニューヨークなら誰も知り合いがいないから自分らしく振る舞えたし、”出来る思い込み”から新しいことへ挑戦する気持ちを与えてくれる自由の国ニューヨークが大好きで仕方なかった。
こんなニューヨーク旅行生活をしてると「お金」関連について聞かれることは多いが、当時の僕は極貧だった。そんな僕がどうやって旅をしてたかというと「クレジットカード」をうまく使って生活していた。今は絶対したくないけど毎回クレジットカード2枚と現金が数万円だけ持って、旅行で使ったクレカはリボ払いに変更して1年かけて返して、日本に戻って仕事をして返し終わったらまたニューヨークに行く生活を7年送っていた。通い続けた理由はニューヨークに通い続けてることくらいしか誇れるものがなかったというのが本音。今の若者は夢がないというけど、当時の僕も現実的な夢なんてなかったし、どれだけ頑張っても「社会の底辺」から抜け出すことは難しくて、ニューヨーク旅行は「現実逃避の旅行」だった。
だけど、この現実逃避の生活も24歳にもなると、現実を見ないといけない場面が増えてきた。
当時24歳の僕の手元に残っていたのはニューヨークの思い出とリボ払いの通知書だけ。人生に大きな変化は特になく、引き続き社会ではただの底辺フリーター。こんな生活から抜け出したくて海外に行ってるはずが、沼にハマっていた。そんな瀕死状態の僕に「中国出張に一緒に来ないか?」と以前紹介した一緒に仕事をさせてもらった社長さんに声をかけてもらった。当時の僕は彼に協力してもらえば人生が変わる気がした。これは「他人任せ」に聞こえるかもしれないが、当時の僕には人生を変えるにはその選択肢しかなかった。
そして、2012年2月の記録的な大雪の日に彼の家の近くのマクドナルドで中国行きのチケットを予約する為に集まって、2階の端っこの席でウキウキしながら中国行きのチケットを買った。数週間後に憧れの先輩と一緒に初めて海外旅行に行く楽しみは今まで感じたことがないワクワク感だった。談笑が1時間ほど続き、外を見ると大雪。先輩と合流したときの倍以上の強い雪が降っていた。そんな雪を見て何を思ったか乗ってきた自転車でこの天気の中帰ることを決めた。
これが大きな間違いだった。この数時間後に顔面骨折8箇所&全身麻酔9時間半の大事故をすることになるとはこの時は思ってもいなかった。
(次の記事:波乱万丈な僕のチルい若い頃の話 – 大事故で死にかけて大切なことに気付く)
※この記事は2021/01/26に公開した情報になります。
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