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足元にうるさい小さなニューヨーカーの見た世界



自己紹介

(1)波乱万丈な僕のチルい若い頃の話 – ブレイクダンスとの出会い

2021年01月21日(木)

初めまして、ニューヨーク在住10年目の小さなニューヨーカーことKei(@smallnycer)と申します。

僕のことを知らない人向けに波乱万丈の人生を少し紹介します。

「Keiくんって結局、何者?」とよく聞かれますが、18歳から今までずっとWebクリエイター(Web言語[HTML/CSS/PHP/Wordpress]/デザイン/フォトグラフ/ビデオグラフ/マーケティング/ブランディング etc)として生きています。仕事の詳細はこっちのホームページを見ればわかるはず。

ニューヨークは18歳から毎年旅行で訪れてたくらい大好きで、26歳の時にアメリカ人結婚してアメリカ永住権保持者になったと思ったら、急に離婚が決まってニューヨークでホームレスになってしまってという感じで結構ジェットコースターな人生を経験しているので、どんな経緯でニューヨーカーと結婚して、ニューヨーク生活が始まったのかなど過去の波乱万丈な人生の話を書ける範囲で書いていきます。

高校時代は勉強もできない虐められっ子

「ニューヨークで生活してる」と言うと「どうせ昔は相当頭がよかったんでしょ?」と勘違いされがちだけど、僕は実は真逆。高校のテストで30点以上取ったことないし、大学受験も2浪してバカでも入れる専門学校入ったくらい。

しかも、男子校に行ってたこともあって男子社会が濃くて、そこの中の一番ヤンキーに目をつけられて3年間本当にキツかった。高校の卒業式は「殺人予告」が出ていたので行けなかった。高校に未練なんて1mmもないから全然okなんだけど、ほとんどの友達は大学に行って、僕はカタチだけ”浪人生”をやってた。だけど、浪人中もキツかった。当時mixi(SNS)をやってたのもあって周りの同級生たちが何をしてるかは嫌でも目に入った。みんなはキラキラ光る未来に向かって走ってる感じがあって、逆に僕は夢もなく、実家住みの僕の背中からは「人生の負け組みオーラー」が半端なかった。

「周りは就職して結婚して幸せになっていくなか、僕は何してるんだろう」

他人と比べれば比べるだけ惨めで、辛かった。そんな僕の心の支えが高校時代にイジメを忘れるために始めた「ブレイクダンス」だった。

ブレイクダンスとの出会いは突然

高校1年生の時点で僕には居場所は学校にはなかった。そんな孤独な僕にも数人だけ友達がいたて、その1人の友達がある日突然廊下で踊り始めた。今考えると初心者に毛が生えたようなスキルだったけど、僕にはキラキラして見えた。帰りに彼に声をかけると「俺のブレイクダンスどうだった?」って聞いてた時に初めて「ブレイクダンス」の存在を知った。

高校時代の僕はというと友達はいなかったけど、パソコンは家にいる間はずっと触ってた。そんなパソコンオタクな僕は寝るのも遅い。そんな遅い時間になるとちょっとエッチな番組「トゥナイト2」が気になるお年頃だったのもあって、親に気付かれないように階段を降りて、リビングに向かった。これもスマホがある今では考えれない行動かもしれないけど、当時はあのバレるかバレないかハラハラしながらテレビの電源をつけるのがワクワクだった。そんな青年がいつも通りテレビをつけると「PaniCrew」というダンス集団のパフォーマンスが流れていて、その中の数秒だけどブレイクダンスをする人がいた。

それが「植木豪」と言う当時有名なダンサーだった。

当時の僕がみた映像がないので別の動画になるけど、初めてみたときは本当に衝撃だった。僕が学校で見たブレイクダンスとはレベルが違ったし、生まれて初めて「かっこいいな…これやりたいな…」って心の底から思った。あれほど目がキラキラするくらい高揚したのは人生でも数えるくらいしか経験がない。

それから何度も彼らの番組を録画したテープを擦り切れるくらいまで見て、家のリビングで練習をしていた。その時に開けた穴が今でもリビングにあるし、当時は段ボールを切って、それを道路の上に引いて練習とかほぼ毎日してた。それくらいブレイクダンスにハマった。そんなガムシャラに練習そんな自分を見た母さんも驚いてた。中高イジメにあって、全く楽しそうじゃなかった学校生活に急に色がついた。そして、「そんなにダンスやりたいならスクールに行ってみる?」と提案してくれた。あの時は本当に嬉しかった。それからダンススクールに通いながら、学校の休憩時間はヤンキーから逃げるように人がない場所でダンスに明け暮れてた。そして、高校を卒業して浪人になってからもブレイクダンスだけは続けた。というよりも当時の僕には上手くもないが”ブレイクダンスしか”誇れるものなかった。

浪人になったばかりのある日、バイト帰りにいつもの駅で終電までストリートダンスしようとして踊っていたら、知らない外人が流暢な日本語で「写真撮っても良いですか?」と声をかけてきた。目の前には背がスラっと高い白人の男性が。英語だと思ったけど日本語…うん?と少し悩んだ顔をしたら彼が自己紹介をしてきた。彼はニューヨーク出身の交換留学生で日本にきている「ジュリアン」と言うブレイクダンサーだった。

彼とのこの数分の出会いが僕の人生の全てを変えた。

(次の記事:波乱万丈な僕のチルい若い頃の話 – 初めてのニューヨーカーの友達


※この記事は2021/01/21に公開した情報になります。
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この記事を書いたのは...

出会って1週間のニューヨーカーと結婚、2年目で突然離婚&ホームレスから起業して生き返って、コロナで再び事業死亡から新規事業で借金返済して、新規事業調査で訪れたタイで出会って1週間のタイ人と結婚みたいな波乱万丈な人生送ってる。

詳しい自己紹介はこちらから。

18歳の頃に出会ったヒップホップがきっかけでストリートファッションに興味を持って、ニューヨークに移住してからスニーカーとストリートブランドを買いつけるバイヤーをやるほどファッションが好き。特に「オシャレは足元から」とよく言われるけど、ニューヨークのスニーカーヘッズの足元(スニーカーと靴下)は本当にオシャレで衝撃を受けた。これがきっかけで靴下コーデにどハマり。インスタにてスニーカーと靴下のコーデ紹介をしているのでインスタもチェックしてください!

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