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人と違う道を選んでみたら"チルい人生"だった


自己紹介

(4)波乱万丈な僕のチルい若い頃の話 – 日本で狂ったデザイナー集団との出会い

2021年01月24日(日)

前回の「波乱万丈な僕のチルい若い頃の話 – グラフィティーとの出会い」の記事の続きです。

日本に戻った僕はどうすればデザインが勉強できるか考えた。書籍を買って独学でやってもいいけど、デザインで食べているプロと出会いたかった。だけど、コネクションなんて全くない若造な僕はどうやったらデザイナーに出会えるのか。僕はどうやってデザインを学べばいいかわからなかったのでデザイナーがいそうなクラブに毎日足を運ぶことにした。クラブに行ってはオシャレな人を見つけて「デザイナーですか?」と3ヶ月声をかけ続けた。時には酒をかけられたり、殴られたこともあったけど僕はデザイナーに出会いたい気持ちでいっぱいだった。そして、奇跡的に3ヶ月後に今でも仲良くしてもらっている先輩達と出会った。

彼らは「mingle」というスケーターとBMXのライダーで作られたクルーでオリジナルブランドを作って、自分たちで店舗を構えてながら、定期的に自分たちでイベントをやったり、オリジナルブランドでアパレルだけじゃなく、DJバックやスニーカーとかも作ってるようなクリエイター集団だった。僕には彼らの活動がめちゃくちゃカッコ良く見えた。

彼らは出会って1時間くらい僕のニューヨークでの生活の話を酒のつまみに笑いながら聞いてくれた。もし今逆の立場なら僕も同じかもしれない。急に目の前に現れた若造が急にニューヨークでの経験の話をアツく語るんだから笑っちゃう。僕は話すだけ話して最後に何を思ったか「デザインの仕方を教えて欲しいです!」と彼らにお願いした。すると「なら、次の日にオフィス来たら教えてあげるよ」って笑って答えてくれた。そのまま朝方まで彼らと一緒に遊んで、昼からの約束だったけど気持ちが抑えれなくて朝からお店の近くのコンビニで求人誌を立ち読みしながら彼らが店に来るのを待っていた。すると遠くから先輩が歩いてくるのが見えた。彼も僕に気付いて「マジで来たのか、こいつ」と少し嫌そうな顔をされたが、僕からすると関係ない。来いと言われたから来ただけ。彼らと話してると彼らも昨日は酔ってたからあまり覚えてないみたいだったけど、無邪気に色々質問する僕のことは覚えていたらしく、店に来たなら来たで話そうと思ってたらしい。

デザイナーとして初めて一歩を踏み出した

初めて行く彼らのお店は小さな店舗だけど、店内には大人のスケーターが着こなすような僕には着こなせない服が置かれていた。当時の先輩たちはかっこよく見えた。自分たちで服のデザインを作って、それを店舗で売ったり、イベントTシャツを作って飛んだイベントやったりとカッコ良かった。僕も彼らのようになりたいと思って、デザインが勉強したいことを伝えたら「そういえばKeiはパソコン持ってるの?」と。僕の10代,20代は「金欠の時代」と言ってもいいくらい金がなかったから素直に「お金がないから持ってない」と答えると「デザインはAppleのパソコンでやるのが主流だからアコムで40万借りて、20万でパソコン買って、残りの20万でアパレル作って、40万の売り上げ出して、アコムにお金を返そう。簡単なことだよ。」とアドバイスをされた。

…今思うとすごいアドバイスだ。だけど、当時の僕も負けないくらいアホで「なるほど」なんて思いながら、アコムで本当に40万借りて真っ白の分厚いMac Bookを買った。残り20万、これを40万にするためにアパレルを作らないといけないんだけど、作ったこともない僕に先輩は「Photoshop」と「Illustrator」をインストールして、少しだけ使い方を教えてもらって「あとは頑張れ」と一言だけ言ってどこか行った。パソコンには強かった僕はすぐにデザインにハマって、ネットで調べながら勉強して、残ったお金でオリジナルTシャツを作ることにしたんだけど、今思い出すと相当ダサいデザインが出来上がりました。

こんな結果になることは誰もがわかっていたはずなのに先輩は悪い人だ。全く止めないで、なんならノリノリで作らせた。その結果ダサいがプリントされたTシャツが手元に100枚以上も届いた。転売でもやったことある人は大量の在庫を持つ恐怖を知ってると思うけど当時の僕はサクッと売れると思ってたけど初日から全く売れずに心が折れそうになったけど借金は残ったまま。なんとか売り切らないとマジやばい…そんな追い詰められた僕は最後の手段に出ることにした。それはデザイナーを探す旅をしてる中で夜遊んでる人たちの財布の紐が緩いことを知っていたので、夜な夜な飲屋街を徘徊して酔っ払いに「似合いますね〜」なんて上手く言って手売りで売り歩くことにした。その結果数ヶ月でアコムに借りお金を全額返した。営業力の高さはあそこで学んだのかもしれないけど、あれは今考えても奇跡だった。

そんな自分でも諦めず4枚くらいオリジナルを作ったあたりでデザインで食べていくことなんて到底無理なことに気付いた。先輩たちはよく食べれているなって感心してたら先輩が暗号みたいな文字を打ち込んでて、興味がてら聞いたらホームページを作ってると。これがWebの仕事をするきっかけになった。

(次の記事:波乱万丈な僕のチルい若い頃の話 – Webの仕事を始めるきっかけと嘘


※この記事は2021/01/24に公開した情報になります。
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この記事を書いたのは...

出会って1週間のニューヨーカーと結婚、2年目で突然離婚&ホームレスから起業して生き返って、コロナで再び事業死亡から新規事業で借金返済して、新規事業調査で訪れたタイで出会って1週間のタイ人と結婚みたいな波乱万丈な人生送ってます。詳しい自己紹介はこちらから。

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